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■note-2011-12-22

2010年12月22日 23:38

■note-2011-12-22

☞金沢到着
金沢には、結局朝着いた。

岡山からの車中はずっと雨。
加えて、夜通し走ったため、地域地域の風景に親しむこともなく、
高速の案内看板が地域名を教えてくれただけだった。
中国道から舞鶴若狭道を中継いで北陸道、金沢西ICで降りる。

バイパスのマクドナルドで仮眠をとって、いざ、金沢美術工芸大学へ!
むむむ、ちょっと緊張。
やっぱり、と近くの銭湯に入って気分を整える。
そして再び、いざ、金沢美術工芸大学へ!!



美大の教官室にはアポイントをとった通り、2時カッキリに到着。
赤煉瓦町の制作楝2階にある、陽当たりの良いこの部屋は
時が止まったかの様に、当時のまま。
入口扉の前に置かれている観葉植物が、ウネウネと7年分
伸びている以外の変化は特になさそうだった。

お電話頂いていた三浦先生が中に通して下さる。
在学当時は緊張して入った教官室の中には当時そのままに
スチールの事務机と、沢山の参考作品、そして、窓際に応接セットが置かれている。
そこで、三浦先生と近況や、金沢の事、在学当時の話をした。

結構長い時間、お時間頂いたと思う。
教官室にもいろいろな人が出入りをし始め、
そろそろ、と席を立つ頃、
最後に「これ、覚えてる?」と壁一面を占領しているラック棚に保存されている参考作品群から、
僕が在学中に描いたグリザイユ(個展技法で、ブラックとホワイトの油絵の具で描くデッサン)を
引き抜かれ、見せて頂いた。
半ば、忘れていたけれど、当時の記憶が生々しく立ち上がる。
一筆一筆のタッチが、記憶の底から甦ってくる。
馬鹿正直に描写というものに力を注ぎ込んだ当時の熱意が
そのまま目の前に現れる感じがした。 

未だ何者にもなっていない僕が言うのはホントに恐縮だけど、
それでも、現在の作家としての自分の大切な技術になっている。
それをはっきりと思った。

今更ながら、手に技術をつけさせて頂いた指導方針に感謝のお礼をいいつつ、
7年間放り投げていた作品を受け取った。




☞真鍋教授研究室へ

工芸楝3階の真鍋研究室へ。


今、僕は勝山で岡野屋旅館プロジェクトという、まちや地域の方々と共に
アートプロジェクトを行っているが、その方向性を教えて下さったのが真鍋先生だ。
たぶん、この先生にお会いしていなかったら、こういう活動はしていないと思う。
(只、それが良かったのか、どうなのかは、、、駆け出しの僕には未だ言えない。
もちろん、良かった と自他ともに言われる様に必死に結果を出そうとしている訳だけれど。。)


真鍋先生は
旧北国銀行武蔵ヶ辻支店だった建築のレストアに関わり、その一角をアートスペースとして
運用する金沢アートグミというNPOを立ち上げておられる。
その話を聞きに研究室の戸を叩く。

アートグミは、
北国銀行武蔵ヶ辻支店をレストアして、
その3階をオルタナティブスペースとして運営している。
展覧会、後援・セミナー、ワークショップ、イベント、映画・舞台等を企画、運営している
わけだけれども、手前味噌な例でいうと、「ひしお」みたいな形態だ。

建物は、村野藤吾という建築家の設計し、昭和7年に完成した歴史的建築。
いわば、金沢というまちの一つのランドマークだという。
それを丁寧にレストアしている。

地域のランドマークのアートによる活性化の展開について、
その有効性と、公共性の高さはこれから認知されてゆくべきでり、
そこにアートの役割があるということで、思いが一致した。

また、長くいろいろなお話をさせて頂きつつ、
翌日は実際にアートグミをご案内して頂くことにして、
真鍋先生の研究室を出る。


研究室を出る頃、外はすっかり暗くなっていた。
やけに夜が早い。思えば、今日は冬至の日だった。

もう少しはやく着いて、いろいろな先生にも
お会いしたかったなぁ、、と思いつつ、
痛いくらいに思い出をかき立てる建物をあとにする。