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■note-2011-02-08

2011年02月08日 12:19

■note-2011-02-08

■「日常」という、漠然と広大で、
私たちがどっぷり漬かってしまっているからこそ
見えなくって、
でも一番近くって
どうしようもなく複雑なテーマに、
作家として目を向けて行きたい。
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2010年12月23日 金沢

2010年12月23日 23:07

■note-2010-12-23


カメラマンの友人Rと、金沢市民芸術村で待ち合わせて、
アートグミへ。
(金沢市民芸術村もかなり思い出深く、いい展示を頑張ってしているので
ゆっくり見て行きたいが、、それは今度にしよう。。。)


アートグミ ART GUMMI
北国銀行武蔵ヶ辻支店をレストアして、
その3階をオルタナティブスペースとして運営している。
展覧会、後援・セミナー、ワークショップ、イベント、映画・舞台等を行ってる。
手前味噌な例でいうと、「ひしお」みたいな用途だ。

建物は、村野藤吾という建築家の設計し、昭和7年に完成した歴史的建築。
いわば、金沢というまちの一つのランドマークだという。
それを丁寧にレストアしてある。



アートグミをあとにして、
横安江町商店街へ。
IMG_1805.jpg

IMG_1804.jpg


かつてあったアーケードが無くなり、
道路がきれいに舗装され、見通しのいい通りになっている。
この風景を見ていると、アーケードがある頃は、何かこう、やっぱり暗かったナ。。って思う。

アーケードでみえなかった空や、お店の立派な屋根が
この道の景観をぐっと魅力的にしている。
フランスやイタリアのガラス張りの美しいパサージュならいざ知らず、
やっぱり道を歩くんなら、空がみえた方が笑顔になれる。

(コラボンさんも行きたかったけれど、丁度お休みでした。。)


☞その足で、金沢21世紀美術館に
IMG_1806.jpg

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流石は、そして楽しめる美術館
自転車でこの辺りをウロウロしていた学生時代の記憶が、、



☞そして、小立野へ

ちょっと、地形の事。
金沢という町は、浅野川と犀川という二つの川に挟まれた土地を中心に発展して行った。
この二つの川が土地を削りつつ、間に形成された南北に細長い大地を小立野台といっている。
小立野台の一番北の端には金沢城や、兼六園があり、南に行くに従って、
金沢大学医学部、金沢美術工芸大学、金沢大学工学部がある。つまり、学生の町。
そして、我が思い出の町!ということで、同級生のRとともに、「のっぽ」という洋食屋に行って
金沢旅行の締めにしようと意気揚々と行ってみる。

が、、ふむ。。あぁ。。 閉店している。。。
Rとともに暫し落ち込む。。

あ!と思い、同じく学生時代から良く行っていたジョーハウスへ。
あ・い・て・る!
クリスマス特別メニューで何だか、幸福な気持ちになり、
写真を撮ったり、手当り次第に旧友にメールしたりして、
おいしい料理を存分に楽しみました。


思えば夏からまとまった休みが取れず仕舞いで、
ちょっと遅い、真冬のいい夏休みでした。

そして、一路岡山へ。


■note-2011-12-22

2010年12月22日 23:38

■note-2011-12-22

☞金沢到着
金沢には、結局朝着いた。

岡山からの車中はずっと雨。
加えて、夜通し走ったため、地域地域の風景に親しむこともなく、
高速の案内看板が地域名を教えてくれただけだった。
中国道から舞鶴若狭道を中継いで北陸道、金沢西ICで降りる。

バイパスのマクドナルドで仮眠をとって、いざ、金沢美術工芸大学へ!
むむむ、ちょっと緊張。
やっぱり、と近くの銭湯に入って気分を整える。
そして再び、いざ、金沢美術工芸大学へ!!



美大の教官室にはアポイントをとった通り、2時カッキリに到着。
赤煉瓦町の制作楝2階にある、陽当たりの良いこの部屋は
時が止まったかの様に、当時のまま。
入口扉の前に置かれている観葉植物が、ウネウネと7年分
伸びている以外の変化は特になさそうだった。

お電話頂いていた三浦先生が中に通して下さる。
在学当時は緊張して入った教官室の中には当時そのままに
スチールの事務机と、沢山の参考作品、そして、窓際に応接セットが置かれている。
そこで、三浦先生と近況や、金沢の事、在学当時の話をした。

結構長い時間、お時間頂いたと思う。
教官室にもいろいろな人が出入りをし始め、
そろそろ、と席を立つ頃、
最後に「これ、覚えてる?」と壁一面を占領しているラック棚に保存されている参考作品群から、
僕が在学中に描いたグリザイユ(個展技法で、ブラックとホワイトの油絵の具で描くデッサン)を
引き抜かれ、見せて頂いた。
半ば、忘れていたけれど、当時の記憶が生々しく立ち上がる。
一筆一筆のタッチが、記憶の底から甦ってくる。
馬鹿正直に描写というものに力を注ぎ込んだ当時の熱意が
そのまま目の前に現れる感じがした。 

未だ何者にもなっていない僕が言うのはホントに恐縮だけど、
それでも、現在の作家としての自分の大切な技術になっている。
それをはっきりと思った。

今更ながら、手に技術をつけさせて頂いた指導方針に感謝のお礼をいいつつ、
7年間放り投げていた作品を受け取った。




☞真鍋教授研究室へ

工芸楝3階の真鍋研究室へ。


今、僕は勝山で岡野屋旅館プロジェクトという、まちや地域の方々と共に
アートプロジェクトを行っているが、その方向性を教えて下さったのが真鍋先生だ。
たぶん、この先生にお会いしていなかったら、こういう活動はしていないと思う。
(只、それが良かったのか、どうなのかは、、、駆け出しの僕には未だ言えない。
もちろん、良かった と自他ともに言われる様に必死に結果を出そうとしている訳だけれど。。)


真鍋先生は
旧北国銀行武蔵ヶ辻支店だった建築のレストアに関わり、その一角をアートスペースとして
運用する金沢アートグミというNPOを立ち上げておられる。
その話を聞きに研究室の戸を叩く。

アートグミは、
北国銀行武蔵ヶ辻支店をレストアして、
その3階をオルタナティブスペースとして運営している。
展覧会、後援・セミナー、ワークショップ、イベント、映画・舞台等を企画、運営している
わけだけれども、手前味噌な例でいうと、「ひしお」みたいな形態だ。

建物は、村野藤吾という建築家の設計し、昭和7年に完成した歴史的建築。
いわば、金沢というまちの一つのランドマークだという。
それを丁寧にレストアしている。

地域のランドマークのアートによる活性化の展開について、
その有効性と、公共性の高さはこれから認知されてゆくべきでり、
そこにアートの役割があるということで、思いが一致した。

また、長くいろいろなお話をさせて頂きつつ、
翌日は実際にアートグミをご案内して頂くことにして、
真鍋先生の研究室を出る。


研究室を出る頃、外はすっかり暗くなっていた。
やけに夜が早い。思えば、今日は冬至の日だった。

もう少しはやく着いて、いろいろな先生にも
お会いしたかったなぁ、、と思いつつ、
痛いくらいに思い出をかき立てる建物をあとにする。

金沢へ

2010年12月21日 23:50

■note-2010-12-21

金沢へ

向島から勝山に戻り、自動車のタイヤを冬用のものに換える。
その足で、金沢に向かった。

金沢行きの切っ掛けは夏、
母校、金沢美大に7年間放り投げていた作品を
いい加減引き取りに来い、と油画科三浦先生からお電話だった。
季節が変わり、ようやくが連休が取れ、行けることに。
やっと。やっと。。

それにしても7年間も、自分の拙い作品を放っておいた自分の非礼さを痛感すると共に、
捨てず取っていただいていた教官のあたたかさをが身にしみる。。

なにしろ、僕の大学に対する非礼さは大抵ではないなぁ、、と自分で思っている。

学部時代は、当時の学風に合わぬ行動や作品(と言えるだろうか。。)をつくったり、
油画教官室とは、やたら反抗視していた。
ほぼ100パーセント、アートの事ばかり考えていた割に、
作品もうまく作れず、常に感じていた苛立ちを回りにぶつけていた
ようなところがある。つまりは回りが見れないワガママ男だった。
(今もかな。。)
更なる極めつけは、大学院に受かったにも関わらず、
3ヶ月で渡仏、フランスの大学院に編入して戻ってこなかった。
その他、一般教養の先生方にも多くの非礼をしている。

その自責の念があり、大学全ての研究室、事務室に
ひとつ一つご挨拶したい思いだが、、、
限られた時間、先ず、今回は油画教官室の扉を叩こう! イザイザ!!
そう思いながら、北へ向かってアクセルを踏んだ。